演 目 夜の訪問者 観劇日時/05.3.13 劇団名/劇団・深川芸術劇場 公演回数/第3回公演 原作/J・B・ブリーストリー 翻案/内村直也 演出/竹内文平 劇場/深川市「み・らい」 |
冗長な劇の推移 ある地方の裕福な秋吉家(当主・兼路=田中一典)では娘・千沙子(沼田佳子)の婚約祝いの祝宴が終わったところだ。妻の和枝(小倉美樹子)、息子の兼朗(田中翔)、そして千沙子の婚約者である町の有力実業家の息子・森永良三(佐藤自真)、たち、仕えるメイドのゆみ(森川絵梨)。そこへ一人の刑事(竹内文平)が尋ねて来る。 今日の夕方、市立病院で一人の貧しい若い女性が服毒自殺をした。ついては関連することについて事情聴取に来たというわけだ。 兼路は経営する事業の社員だったその女性を、ストライキの首謀者だったという理由で解雇したことがある。千沙子は、その後高級プテイックの店員になったその女性を、上得意の客であった自分の気分で罷免させたことがある。 家族は全員が一人ずつ死んだ女にそれぞれの負い目があるのだが、これは二人目まで聞くとその先がすぐに想像できる。案の定、家族5人すべてがこの女性に何らかの後ろめたさを抱えていることを告白する。 刑事は容赦なく5人を追い詰めていく。後ろめたい彼らは抵抗しながらも自分たちのそれぞれの関わりを徐々に告白していく。 しかし冷静に考えれば、これらの行為は道徳的には褒められたことではないにしても、少なくても犯罪に直接的に関係する行為ではないはずだ。そこを見抜けずに己の行為を告白した家族はむしろ良心的であったとさえ思われる。劇としてはそこが甘く緊迫感が薄い原因となる。そう思わせない演技者の力不足であろうか? 劇全体の出来を詳細に検討すると、まず一番気になるのはテンポの圧倒的な弱さであろう。噛み合いがトントンと進まず、追い詰めていく迫力も感じられず、先々の展開も予想されて、まどろっこしくて眠気を誘う。 台本ももっとカットし、アレンジした方が締まって良くなるであろうと感じる。 各出演者は自分の台詞をいうのがやっとという状態で特にリアクションが素になっていたり、前の台詞を食ったり芝居になっていない。しかしまったくの初舞台という紹介があったが、それにしては思ったより良くやりましたというのが正直な感想。 無意識に他人を傷つけることへの警鐘というこの劇の意図を評価しながらも、それが充分に表現できなかった辛さが感じられる。 刑事役の竹内は、体調のせいか年齢のせいか、まったく動けず棒立ちのままの台詞、特に途中台詞を忘れて絶句し、隣に立っていた役者が耳に口を寄せてプロンプしても中々思い出せず、しばらく間が空いてしまった。 カーテンコールで年齢と体調のせいで無様なところをお見せしましたことをご寛容くださいと謝っていたが、芸術劇場と名乗る集団が謝って済むことであろうか? 落語の八代目・桂文楽は、1971年8月31日の国立小劇場での「大仏餅」を6・7分演じたころ、突然絶句し、高座に平伏し、「台詞を忘れてしまいました。……申し訳ありません、勉強をしなおしてまいります」といって深く深く頭をさげて高座を降り、客席からは労わりの拍手が沸いたが、文楽はその後一切をキャンセルして二度と高座を踏まなかったという。(文楽さんの芸、その死(大西信行=小学館「八代目桂文楽」より)。 このエピソードを知っていた僕は、むしろ竹内文平氏を可哀相で哀れな人だと深く同情した。これから竹内文平氏はどうするのであろうか? 年齢的に僕も人ごとではなく切ない…… 深川には、この芸術劇場を含めて演劇集団が四つもある。そのほかにも拓大のミユージカルもある。しかもそのそれぞれが独自のポリシーをもって互いに高いレベルを目指して休みない活動を続けている。そしてこの芸術劇場は今回で第三回目と一番若い集団でもあるのだ。 おそらくこの規模の街にこれだけの市民が演劇を目指しているというところはそう多くはないと思われる。 それだけに、この芸術劇場の今後についてスッパリと切り捨てられない思い入れが絶ち難いのだ。 |