演 目
リリオム
観劇日時/05.3.12
劇団名/TPS制作=文化庁・社団法人日本劇団協議会
作/F・モルナール
翻訳/飯島正
演出/宮田圭子
照明/赤山悟(ホリゾントアート)
音響・演奏/百瀬俊介(shusa)
演出助手/佐々木里美
衣裳/黒丸祐子
劇場/シアターZOO


現代を映す物語

 先日の初日から中二日おいて、2回目の『リリオム』観劇である。
私的なことだが、主演のリリオムを演じた塩田悟司は3年前までは私が手伝っている深川の劇団に居たので、初日はとても冷静には観られなかったのだ。その上、一緒に出演していた川崎勇人も塩田の一年後輩でやはり僕らの劇団にいた一人なのである。
これは僕にとってとても嬉しいことなのだが、舞台を客観的に観ることが出来ないという大きなハンディもある。だから今日は私的感情をなるべく出ないように努力して意識的に冷静に観ようと思う。
演劇は博物館にあるべきものではない。現代に何を語りかけるのか? という点こそが一番問題になると思う。一見古めかしい『リリオム』の物語にだって、今日この物語を上演するからには、それは当然あるはずであろう。
その目で見ると、この話には二つの現代的テーマがあるようだ。一つは生き方が巧くない男、生き方の不器用な男の真情と、それを本能的に信じた愛する女との純愛の物語といえようか? 要領は悪いがひたすら人を思う男、そんな男がなぜそんなに普通の男が歩く道を外れていくのか、不思議な男、憎めない男。
世界でたった二人、リリカと自分だけが彼を理解し愛したと豪語するマダム・ムシュカートの真情がそのことを証明している。しかしリリカはリリオムが死んだ後でさえ、ムシュカートと二人ということを拒否することで彼女の純愛を全うする。彼女も巧く合わせて生きることが下手なのだ。
そう考えると、この物語は現代に一番欠けている無償の純愛の物語と思われる。おそらくそのことに感動するのだ。
それは彼が自分の生き方を省みたあげく、自ら死を選んだということで証明される。ただしこの舞台での自死のシーンはそういう重い主題を表現しきれていたとはいえない。アラ突然に何をするの? という感じだ。突然どうして自ら死を選んだの? という感じなのだ。もっと自分を正当化するか、どうしていいのか分らずにもがき苦しむのか……
もう一つの現代的な問題は、家族内暴力のことだ。巧く生きられない人が、八つ当たり的に一番弱い部分である家族に暴力を振るうという現象だ。家族を含めて当事者にとってはやりきれない事情であろう。
自死したリリオムに友人たちは、残されたリリカがむしろ幸せだったと慰める。他人の目からは確かにそうであろう。しかし、ほんとにそうなのか? なにが幸せなのか? 
初日を観た古川厚子氏の感想によると、家庭内暴力に悩む人にとって重く切実に響く主題でもあり、そのことを一番強く感じたということであった。
リリカは16年後の遺児・ルイザに、死んだ父親のリリオムを理想化して伝説化している。果たしてリリカも娘のルイザも、今、リリオムとの関係では本当に幸せなのだろうか?
特に娘・ルイザにとって、父親の真実の姿を知ることがどういう意味をもつのだろうか?
私的なことをつけ加えると、塩田悟史は、初日のカチカチな演技からみると少し生き生きとしてはいたが、まだまだ形で一生懸命に造っていたという感じは否めない。
まだ卵から孵ったばかりだ。これからどう育つのか大いに期待しよう。
川崎勇人は、親しい直近の先輩の脇にいたせいか、初日はわりと楽に演じていたのだが、逆に今日は気分が楽な分だけ形になっていたと思われる。芝居って難しいものだ……
その他の出演者。
ユリの親友・マリ=山本菜穂
その夫・フゴー=木村洋次
ホルンデル婆さん・他=川崎勇人(TPS養成所)
その息子・他=永利靖/気取り屋=高田則央
署長・他=岡本朋謙/警官・他=金子剛
リンツマン・他=鈴木亮介(Theater・ラグ・203)
ルイザ・他=内田紀子(TPS養成所)