演 目
映画/シルヴィア
03年イギリス映画
観劇日時/05.1.28
提供・配給/ザナドゥー、エレファント・ピクチャー
脚本/ジョン・ブラウンロウ
監督/クリステイン・ジェフズ
音楽/ガブリエル・ヤーレ
美術/マリア・ジャーコヴィク
衣裳/サンディ・バウエル
編集/タリク・アンウォー
撮影/ジョン・トゥーン
製作/アリソン・オーウェン
劇場シアターキノ


妄想と疑惑に痛めつけられる繊細な神経

 若くて美人で才能ある詩人の卵、シルヴィアはケンブリッジ大学で天才詩人テッドと出会う。二人とも現実感の薄いおとぎ話みたいな存在だ。
一種の象徴としてそうありたいと思う存在の具体化であり、そこに自分自身をなぞらえてみる。僕にもむかし近いことがあったような気がするなどというナルシシズムを感じたりさせて……
二人は熱愛の末、結ばれシルヴィアの出身地、アメリカのボストンに移り、テッドは売り出し名声を得る。
繊細すぎる心のシルヴィアは詩が書けない。やがて二人の子どもに恵まれるが、シルヴィアの神経はますます苛立ちさらに書けなくなるという悪循環に陥る。やがて夫テッドの浮気……エスカレートするシルヴィアの疑惑と妄想……
二人は本当に愛し合っているはずだ……テッドはどれだけ責められても家を出されてもシルヴィアを心配する。だからこの辺のテッドの浮気の描写は、きっとシルヴィアの妄想だろうと思われる。
やがて一人になったシルヴィアは解放されたように次々と詩作をし、それが売れていく。だが妄想はますます昂じる。
テッドを呼び出したシルヴィアは「もともと半分の存在だったそれぞれが大きな空洞を持っていて、二人が一緒でやっと完全な人間になる」などと古事記のイザナギ・イザナミのようなことを言い、相手の女性とはきっぱりと別れてくれるように頼む。
しかしテッドは「無理だ、彼女は妊娠している」と答える。果たしてこれもシルヴィアの妄想であろうか? 事実なのか? 彼女はついに自らの命を絶つ。
そのころ、よく悩みを打ち明けたアパートの管理人の小父さんがいて、彼女は「父のようだ」という心境、この小父さんの存在がこの映画の救いだ。
二人が始めて会ったとき、最後にシルヴィアがテッドと会うキッカケになったテッドと他の女性とのひととき、この二つのシーンでは短いながら同じようなオールヌードのSEXシーンが映し出された。愛は肉体で完結するというイメージが鮮烈で、美しい場面を創りだしていて印象的であった。
ついに肉体を滅ぼした繊細すぎる神経の末路が哀しくも美しい。