演 目
楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき―
観劇日時/05.1.24
劇団名/旭川ステージワークプロデュース
作/清水邦夫
演出/伊藤裕幸
演出助手/高田学
舞台美術/松村知慧
照明/青山伊都
音響効果/山田健之
宣伝美術/石田千景・遠藤千帆
劇場//旭川・シアターコア


力を出し切れなかった舞台

 やはり本(戯曲)が良いということがよく分かる芝居だ。役者たちがその期待に充分応えて、この集団と演出者の力が納得できる舞台を創ったといえる。
死んだ二人の売れなかった女優A(=中村ミハル)B
=武田千春)の幽霊が、ある劇場の楽屋に住み着いて、夜な夜な来るはずのない、来たるべき配役に備えてメーキャップに余念がない。そこへ年配の大女優Cが出演前の準備に現われる。そこへC付きのプロンプター(舞台の陰で役者に台詞を教える役目の人)である新米女優Dが現われて、役を返せと大女優Cに迫る。
女優Cの役(=三上和世)が、やや固く余裕が足りない感じだが、貫禄の要る、それこそ自身の台詞にある通り、「蓄積のいる」役柄を無難に演じた。
女優Dの役(=田内麻衣)もこれは極端に難しい役柄で、この人はこの役の極端な集中力というものが足りないかなと思われる。つまりこの役は普通の人と感覚が違っていなければならない。 
 以前作者の清水邦夫が、自身が主宰する「木冬社」という劇団で上演したとき、この役を男優が演じた。実は男の役者で上演させて欲しいという希望がたくさん来ていたそうだ。それを全部断って自身の劇団では男の役者が演じるというのはずるいとも言えるが、そこは作者だからできることで、この、自分は演技の巧い女優であると信じ込んだ特異な性格破綻の女を男が演じることで、不思議な感覚を見事に造形できて面白く思ったのであった。この役はつまりそういう難しい役なのである。むしろ下手な役者の方が味が出るのかもしれない……
女優A・Bの二人は生き生きと演じて好感がもてたのだが幽霊であると感じさせる工夫がないために、トップシーンの女優Cとのやりとりが奇妙で異常に思える。女優Cには、亡霊である女優A・Bの姿が見えないという設定なのだ。その奇妙で異常な思いがずっと引きづられていって気になる。何かこの二人は亡者であるということを観客に気づかせる仕掛けが必要なのではなかろうか?
今までに観た『楽屋』の舞台では、いろいろな演出を凝らして、彼女らが幽霊であることを観客に分からせようと工夫しているのだが……
以下、気になった点を列挙する。
プロローグとエピローグの処理。この芝居は面白いし奥が深いし、それぞれの個性のはっきりした4人だけの舞台だということで、プロからアマまで多くの集団が上演していて、このプロローグとエピローグはアイデァ合戦のようになっていて、これまたいろんな趣向を考えた舞台を観て来た。今回のものは余りにもそっけなさ過ぎる。この芝居に対する思い入れの方向が分からないので、関心がそれだけ薄くなってくる気がする。
舞台装置。劇場の楽屋という印象が薄い。古い田舎の公民館の一室という感じ。この女優Cはチェホフの『かもめ』を上演しているという設定だから、そういう公民館でたまたま『かもめ』を上演したから、その楽屋もこんな部屋だったのかもしれないとも思えるのだが……それでいいのかなと……
おそらくこの装置は前作『薔薇十字団渋谷組』の装置の使い回しのようだが、ちょっと安易じゃないのか。
この劇の舞台の背後に設定されている『かもめ』の本舞台から聞こえてくる観客の拍手の効果音が、潮騒か国道の車の騒音みたいであまり良くない。