春はきたのか?(後記)


・今期の29本の時評を読み返してみて、「切ない」「哀しい」などという語句や、「不条理」「涙が滲む」などという述懐がたくさん出てくるのに驚いた。やっぱり何か現在の自分の心境に繋がるところがあるのだろうか? 
中々に春の季節を迎えたとは言いがたいこのごろだ。4月も上旬だというのに、家の周りはまだまだ深い雪に閉じ込められている……

・ 『りんご』(千秋楽3月30日)を観ていると、主人公の山岸が言い訳をする「間が悪かった」というべき台詞を「魔が差した」と言ってしまった。別の舞台でもこういう間違いは散見するが、これをいちいち指摘するのも煩わしいし、揚げ足を取るようで気が引ける。しかし何か別の意味があるのか? と一瞬考えてしまうことを思えばやっぱりその時々にチエックするべきか? 春らしくない鬱陶しい話題だ。

・ 演劇と名がつけば委細かまわず観散らしてきた。しかし自然に自分の興味と関心の赴くものに徐々に限定されてくる。しかしそればかりを追いかけると視野が狭くなると思うから、なるべく幅広く、ましてや文学は当然として、映画から美術・音楽・評論までさまざまなジャンルに無理して接しようとすると、自分の能力とエネルギーの限界を感じて混乱し、哀しくなる。(あ、また「哀しい」と言ってしまった)……

・ 高校生たちのその後。二本の作品を地元で舞台化する話も中々具体化せず非力を嘆いているばかり……その後の新作も作業中で、春いまだ遠し。だが、彼女らは別の作品でミニドラマ三本立ての試演会を企画した。4月17日。若さの行動力か。まだまだデッサンの段階だが、どんなことを考えているのか、はたして芽は出るのか?春の兆しなのか?

             05年4月10日