演 目
『紙風船』『驟雨』
観劇日時/04.12.11
劇団名/シアターゼロ
公演回数/第2回公演
作/岸田國士
演出/秋元博行(銀の会・劇団ペルソナ)
劇場/ことにパトス


作られた演技

 
この劇団は近代古典劇の復活を目指している。これには共感する部分が多い。演劇の物語のパターンは36である(前号の後記を参照)などという説を知り、最近のさまざまな舞台をその思いで観ていると、その説にもリアリティを感じ、古典劇あるいは近代古典劇を再確認しようという考えは充分に納得できる。
 今回上演された二つの演目は、ともに大正末期(1920年代後期)の東京郊外に住む当時のエリート社会に位置する若い夫婦の話である。夫婦の話でありながら、人間対人間のディスコミニュケーションのテーマ、他人に関心を持つ人間の度量の問題などは現在にも充分通じる、人と人との関係のあり方を考えているわけだ。
 問題はこの二組の夫婦を演じた二人の役者の演技だ。一言で言うと「自分は今、こう思っている」「こういう心境である」ということを、演技で表現しようとしていることが見え見えになっている臭さである。
 確かに心理描写は緻密で分り易い。しかし逆にいえばいかにも作っていますという作為が判りすぎてしまうのだ。
 確かにこれは難しい問題だ。しかしアンドロイドが頻発する現代の若い演劇界にあって80年前の時代設定にあえて挑戦する試みに苦言を呈して期待したい。
 今日の舞台を観て驚嘆したのは、舞台装置の贅沢さである。「紙風船」は和風の奥座敷と小さな庭と生垣、いかにも当時の中流家庭の佇まいを感じさせる。そして「驟雨」の方は一転、洋風の応接間で正面に大きな窓と、外の樹木が見える。
 全く違った二つのリアルな装置をわずか15分の幕間に組替えてしまった。どちらも1時間足らずの上演時間だから、合わせても2時間、その中でのこの豪勢な舞台装置に拘った執念というか、精神的な贅沢というか、そういうことをやり通した意思力には敬服した。