演 目
君につたえたいこと
観劇日時/04.11.7
劇団名/ミユージカル工夢店
公演回数/第2回公演
作 /菊地清大・寿福愛佳・高橋俊樹
演出/菊地清大・多比良佳代
照明/サウンド企画
音楽スーパーアドバイザー/大須賀ひでき
劇場/深川市パトリアホール


達者なアマチュァたち

 1950年代後半、日本もそろそろ戦後の混乱も終わり、経済も高度成長に向かう予感が始まる頃、深川の田園地帯である多度志地区の農村。幼馴染の男二人、農業の丸山武志(菊地清大)と郵便局員の加藤政治郎(小西智章)。武志には愛する妻・タミ(寿福愛佳)と元気な息子・武洋(佐藤允洋)、二人の娘・京子(和田美紀)、ミヨ(吉澤美玖)がいる。
 一方、加藤はこの歳で未だ独身、密かに想いを寄せる中年の中学教師・田中良江(遠藤美紀)がいるからだ。そして、病身の義母・カネヨ(川本友紀)と戦死した夫の遺児・ちか子(千葉妙香)とゆか子(野原綾華)の三人とで暮らす幸(多比良佳代)たちの三グループ。
 死者をあの世へ案内する三人の天使(佐藤万里子・五十川志織・篠原桃子)。ありがちと言えばありがちなシチュエーションの中で展開する物語。そこへ何処の何が入っているのかわからない木箱を骨壷と称して、戦死したと知らされていた幸の夫・井上浩司(星場厚志)らしき人物が現れる。
 これまた何時か何処かで見たような聞いたような物語の展開。しかしそれが一概に悪いとはいうのではない。しょせん演劇の物語は36のパターンしかないのだノノ
 ここで気になるのは、戦後15年も経ってなぜ急に突然戦死したはずの彼が故郷に帰ってきたのか? ということだ。
 話の中でだんだん分ることは、彼は戦地で敵兵も友軍も次々と死地へと赴いたこと、やっと引き揚げてみれば看護兵としての任地の広島で見た地獄絵図、それらの経験のショックで人間性を失い、都会を放浪し帰郷の機会を失ってしまったが、原爆症のために命の限界を知り、自分の経験を、自分を知らない娘たちに伝えたくて帰郷した、という風に説明されている。
 問題はここなのだ。つまり、この話はただ互いの会話の中でのみ説明されている。この男のリアリティがないのだ。悪く言えば、その境遇を利用したようにもみえるのだ。
 戦争の及ぼす最悪の影響を静かに告発するという意図は善意であるしタイムリーでもあるし、だれも反対する根拠も理由もない。しかしそれを演劇という形式で表現する場合には、それなりの方法論が必要ではないのか? この表現法は、安易に過ぎるのではないのか? 意図が良いだけにその浅さが気になるのだ。
 面白かったのは、ここでも市長を特別出演させ、自治体合併の話題を出したことだ。もちろん賛否を表現したわけではなく話題にしただけだが、先日の合同演劇にも市長が特別出演して環境保護の問題に言及していた。
 単に出るだけでなく、一定の意識を述べる機会と捉えたことに形だけを作るのではない意欲を感じたといえば褒めすぎか……。純粋演劇というより市民参加の啓蒙劇であるから、そういう部分も評価したいと思うのだ。
 小さなことだが、男が隠れるときの漬物樽の造りが現実離れし過ぎているのではないのか? ギャグとして誇張するにしても、もっと納得させる表現方法が必要であろう。根底にリアリティの保障がなければ誇張も単なる作り損ないにしかならない。余りにも突拍子過ぎると白ける。