演 目
心中天の網島
観劇日時/04.10.29
劇団名/流山児事務所
公演回数/創立20周年記念公演
原作 /近松門左衛門
脚本/山元清多
演出/篠井英介
劇場/道新ホール


過激派の行き着くところか……

 心中物語の名作といわれる近松の『心中天の網島』を、山元清多が現代劇にリメイクした。現代劇といっても人物名はそのままだし、郭や遊女、紙問屋や手代などという言葉もそのまま使っている。衣装も基本的には洋装だが、場面によっては和服であったり、ときには現代風にアレンジした和風のデザインであったりする。そういう枠組みの中で妻子ある中年の紙屋治兵衛(若杉宏二)が遊女・小春(七瀬なつみ)と恋仲になり、身請け(大金を払って遊女を自由にし、自分のものにすること)の金に困り、心中しようとしているという噂が広がり、夫を死なせたくない治兵衛の妻・おさん(七瀬なつみの二役)は心中を思い止まるように小春に手紙を出す。
 おさんの苦衷を知った小春は、治平衛に冷たく当たる。いわゆる愛想尽かしである。おさんと小春とのやり取りを知らない治兵衛は、小春の心変わりに激怒する。
 一方、おさんは、小春が死んでもいやだと言っていた太兵衛(上田和弘)に身請けされると聞いて、小春は死ぬ気だと推察、自分だけが生き延びては小春に義理が立たないと、問屋への支払金や自分や娘の晴れ着まで持ち出し、内金だけでも入れて太兵衛の身請けを阻止させようとする。小春とおさんの真意を知った治兵衛は、おさんや親族たちへの愛情と義理、小春との情愛の板挟みに苦しんだ挙句、小春・治兵衛の二人はついに死への道行きを覚悟する。そして壮烈な心中死のラストシーンノノ
 物語の初めに、酔いつぶれた近松(流山児祥)の部屋へ、近松の書いた心中物語のモデルであるお初(篠井英介)徳兵衛(甲津拓平)の幽霊が出て、近松が次々と書く心中芝居で心中を美化した結果、心中死が増大し過ぎた。あの世は決してそんな良いところじゃない、あの世へ来たって幸せにはなれないから近松にはもう心中物語は書かないでほしいと訴えるコミカルな場面が演じられる。この物語はまさに恋と死とを極端に美化し義理と情愛に苦しむ人の行き着くところを暗示していると捉えられる面が大きい。
 確かにそういう場面に遭遇した人間がどういう行動をとるかは、基本的には昔も今も変わらないし、心中が誰にでもできることではないことであれば、美化の対象になるのはやむを得ない部分もあり、人間の心の熱さ、情愛の深さの美しさを称えることも出来るのかもしれない。
 しかし現代はもっと環境条件も整ってきているし、現代人はもっと知的で冷静な判断や行動も出来る。僕たちはこの昔の悲しい美しい出来事を泣いて観ているばかりではないはずだ。この人たちの情熱と苦悩から何を受け継げばよいのであろうか?
 ところで全共闘世代の最前線の過激な闘士であった流山児祥が、今、「恋とは何でしょう?(笑い)という一級の娯楽作品(当日パンフ)」を創るかと思えば、その多分一世代下の村松幹男が、今、もっとも過激で生硬な思想劇『だから彼女は舟に……』を創ったという、この村松の焦慮感と流山児の想いの何たるかに感慨を深くするのではある……
 詩人・中村稔は『私の昭和史』(04年6月青土社)という近著の中で、「1944年から45年(大戦末期)にかけての暗黒時代、旧制中学・高校というミクロコスモスのなかでは、なおかろうじてリベラルズムの伝統が保たれていた。しかも自分はそのころ、灯火管制のもとにほそぼそと演じられていた、女性だけの人形浄瑠璃、乙女文楽に通い詰めていた(要約)」という。
 この記述はちょっと違う文脈の中での言葉であるが、この流山児の今回の『心中天の網島』の上演に通じる何かがあるのか? 結論は……出せない。