演 目
映画/珈琲時光
観劇日時/04.10.29
脚本・監督/侯孝賢
劇場/シアターキノ


優しい人間って、ゆっくりした時間の流れって、やっぱり良いものだ…

 小津安二郎の生誕100年で、小津を敬愛する侯監督が捧げたオマージュノノと最初に宣伝されてもなあ……と。
 びっくりしたのは、主演の陽子を演じる一青窈という歌手の自然な演技だ。自然というより演技以前の日常そのものだ。ほんとに生活しているそのままの風景をフッと切り取ったような感じ、台詞の微妙なニュアンスといい身のこなしといいまったく演技をしているとは感じさせないナチュラルさ……
 トップシーン、貧しい安アパートの窓を開けて洗濯物を干しながら、アゴで押さえた携帯電話でボーイフレンドの肇(浅野忠信)と話をしている。その時点では相手が誰だかわからないのだが親しそうでいてちょっと物憂い感じの喋り、そのとき大家さんが来て陽子は画面から外れ、しばらく彼女と大家の奥さんとの、陽子の旅行帰りの会話が、窓枠の外で揺れる洗濯物だけの無人の画面にしばらく続く。このあたりのリアリティと懐かしさ暖かさ、全編がこの調子である。
 フリーライターの陽子は今、台湾からの取材旅行から帰ったばかりだ。資料集めでいつも協力してくれているのは古書店の肇、大きな身体で静かで無口で知的な優しい青年。多分陽子は肇を兄のように慕っているんだろうが、肇は陽子を妹以上に想っているらしい……
 久しぶりに陽子は、下仁田の田舎で年金生活している両親の家へ行く。母(余貴美子)は継母であるが心優しく、二人は本当の母娘のようだ。定年を過ぎた元サラリーマンの父(小林稔侍)は徹底的に無口。
 陽子は母に妊娠を告げる。相手は台湾の工場主だが、マザーコンプレックスの強い相手の青年と結婚する気はない。そんな娘を親身で心配する義母……父に何とか言ってもらいたいが、不器用でうまく口を出せない父……
 東京へ戻った陽子は、肇と一緒に歩いていて突然気分が悪くなる。心配する肇に陽子は、妊娠しているからとサラリと告げる。驚く素振りも見せずただ身体の心配だけをする肇、もうそれほど若くはないといっても肇の煮え切らなさに観ている方が焦るほどだ。
 しかし時間はゆっくりと何事もないように過ぎていく。鉄道の高架線がウネウネと入り組むJRお茶の水駅近辺の近未来的な光景の俯瞰撮影、池袋・鬼子母神近辺の庶民的な路面電車が行き来する何気ない日常の風景、行き付けの喫茶店のマスター
 両親の上京は父の上司だった人の葬儀、陽子のアパートには急須もコップも箸さえも一人分ずつしかない。急に酒を飲みたいと言い出した父のために大家の小母さんから酒を借りる頬笑ましい風景、現実には今やコンビニがどこにでもあるから、こういう情景はもうすでにない……
 この懐かしい風景に浸っていると、薄く浅く眠たくなりそうになるが、寝入ることもない。何となく気になって寝ることもなく穏やかな気分でゆったりと観ている。貯金もないシングルマザーになる陽子。たぶん台湾の彼が面倒をみるんだろうノノ肇の立場は?ノノ
 でも何とかなるんだろう、電車の中で転寝している陽子のところへ偶然、肇が乗り込んできた。肇は集音マイクで駅のアナウンスや電車の扉の開閉音を録音しているらしい。何に使うのか? やがてホームに降り立ち去っていく電車に向けてマイクを突き出す肇に、寄り添うようにして立つ陽子でエンドマークであった……