演 目
Go Die Go
観劇日時/04.10.23
劇団名/劇団東風(トンプウ)・釧路
公演回数/シアターZOO提携公演
原案・脚本/杉澤和哉
構成・演出/前田慶
監督/片桐茂貴
劇場/シアターZOO


死ぬということは生きるということ

 時代劇であるというインフォメーション、開幕前に見える舞台背景は、シルエットで浮かび上がる障子。しかもこの障子は大きな升目の中の模様が、同じようなパターンであるような印象だが、よくよく見ると全部が違う模様なのだ。それは和風の桟でありながら一種の抽象模様を描き出していて、これから始まるであろう劇世界を期待させる。
 やがて始まるのは江戸の世界。このアブストラクトのモダーンな和室に住んでいるのは、豪商の人足である若い男のゲンクロウ(原央)とその美人妻アオイ(中村麻樹)。
 舞台前面に設えられた、この江戸下町の長屋の万年床に寝草臥れていたゲンクロウが目覚めたとき、一緒に寝ていたのはアオイではなく、異母弟のサギノスケ(黒咲アキラ)であった。
 ゲンクロウとアオイは倦怠期の夫婦、ゲンクロウの奉公先の娘アカネ(今野祐子)は一方的にゲンクロウを思慕している。プレイボーイでゲンクロウの女房アオイを誑し込もうとするサギノスケ。
 これらの登場人物たちが己の存在意義を求めて右往左往する。本当の自由とは何なのか?
 『Go Die Go』というタイトルからも判るように、「生きよ、死ね、そして生きよ」ということは、「死ぬ」ことを意識することは、「生きる」ことの意味を考えることだ、ということであるのか?
 終幕、すべてを失ったゲンクロウは、愛するアオイを前にして自害する。ゲンクロウのアオイに対する究極的な愛であり、己が自己に忠実に、自由に生きることの最後の手段であったのか?
 江戸時代を(どの辺りの江戸なのかはわからないが)時代背景にした理由がわからない。それもあってか前半部のギャグがほとんど不発だ。時代劇だから現代的な台詞やギャグがダメだというのではなく、この舞台を見る限り、江戸時代にした理由がわからないから浮いてしまうのだ。
 テンポが遅く、メリハリがなさ過ぎる。前半部を大きく刈り込めば面白くなりそうな雰囲気は持っている。それが惜しい舞台であった