演 目
受 付
観劇日時/04.10.3
劇団名/北芸(釧路)
公演回数/道東小劇場演劇祭
作/別役実
演出/小高律夫
照明/佐藤徳子
劇場/帯広・メガストーン


油断したか、弛んだ表現

 別役劇のなかではわかりやすい戯曲だ。神経診療内科クリニックの受付へノイローゼ気味の中年男(加藤直樹)が訪れる。受付の女(森田啓子)は、あの手この手で別役流の噛み合わない会話を駆使して、この男を難民孤児への寄付から始まって、角膜移植のための死後献体、さらに安楽死協会へまで入会させようと強引に追い込む。女は、「あなたには生きている意味はない。こうすることでしか、あなたの存在価値はない」と喝破する。怒った男は、ついに退場するのだが、残った女は「このビルには、ここを含めて37の各種ボランティアの事務所があるノノ」とつぶやく。男が去った後、患者がこないことを不審に思った医者(加藤直樹)が出る。この医者は、戯曲では「どこか患者と似た男」というト書きだそうだ。アフタートークによると、加藤氏は別人として演じているそうである。「あなたがわかったというまで」(杉浦久幸・作)が似ているけれど、狂信的に自己の正当性を主張する女に困惑する男というシュチュエーション。狂信者が善意であるだけに、困惑する男が滑稽でもあり情けなくもあり、同情しつつも焦慮も感じる。そういう一方的な善意とそれに対抗できない人間の弱さとを、他人事とは思えずに感じられるのだ。だが別役劇はそう単純じゃない。この一場のやりとりはそれ以上に何を意味するのか?
 今日の舞台はさすがに馴れた熟成を思わせると同時に、油断したようなケアレスミスが散発していた。話の流れから当然「パレスチナ」というべきところを「カンボチャ」と言ってしまい、観ているほうがハッとし何か別の意味があるのかと考えてしまう。その他、何箇所か噛んでいた台詞も散見。観客にそう思わせるのは演技者として問題であろう。以前こういう表現が一種のためらいの表現として納得したこともあったが、今回はそうは感じられなかったからだ。
 この集団は小劇場に特化した台詞術とでもいうべき、囁くような日常的な発声法を多用する。囁き声は大劇場でも一種のテクニックとして当然使われるが、それとは違って本当に囁くのだけれどもそれが実にリアリティがある。