演 目
熱海殺人事件
観劇日時/04.6.17
劇団名/旭川ステージワークプロデュース
作/つかこうへい
演出/伊藤裕幸
照明/豊島勉・石田千景
音響効果/山田健之
劇場/シアターコア


暑い芝居が今に語りかけるもの

 暑い芝居だ、いや暑苦しい芝居だ。戯曲自体もそうだし、けれん味たっぷりな演出も、それに応えたエネルギッシュな演技者たちも、目一杯暑苦しいと同時に、今日の旭川の気温も今夏初めてのハイレベルを示している上、この狭いシアターコアの場内もヒートアップがとどまらない。
 顧みれば73年に文学座のアトリエで藤原新平の演出で初演されたこの芝居は、部長刑事にとっては取るに足りない小さな殺人事件を、部長刑事の面目にかけて、何処へ出しても恥ずかしくない大事件と凶悪な犯人像(今回は松下音次郎)に仕立て上げるべく、部長刑事(同じく高井直樹)新任の若い刑事(同じく飯田慎治)そして婦人警官(同じく田村明美)たちが寄ってたかって、滑稽な大騒ぎを演じて、自己顕示欲・誇大妄想症・面子にこだわって本質を隠そうとする愚かさ、などなどという印象であった。
 その後、評判が高く、作者はそのつど書き換えて、もともと、つかの作劇術はいわゆる「口だて」という方法で、どんどん戯曲を変化させて行く手法だが、そのやりかたで30年に亘ってその時々に様々に表情を変えながら、永く人気を保ってきた。
 さすがに最近では昔のように、取り上げる集団も少なくなってきたようであるけれども、今日この舞台を観て、今日性の強いことに改めて気づかされたのであった。
 それは最初に言った「暑苦しさ」である。今の世の中、何か変だぞと感じながら、致命傷を受けているのはごく少数なので、大多数の人たちはぬるま湯に浸った蛙みたいに、だんだん熱くなっていく自分の置かれている危ふさに、一向に気がつかないか、気がついても何となくやり過ごしている人たちに、喝を入れようとしているような気がするのだ。
 装飾過剰とも思える劇性、信じることに狂的に思い入れを叩き込む行動力の魅力、しらけの時代に強烈なアジテーションをアピールする力技、フアッショの危機には逆の力の意思表示、レジスタンスをテロとごまかすことに眼を覚まさせるショック療法、などなど、こうやって書いている僕にもあまり説得力のなさそうな思いが突き上げてくるような展開である。
 そして今日の舞台で意外に思ったのは、ラストの金太郎(犯人)と被害者のアイコ(婦人警官が演じる)の哀切なラヴシーンであった。今までこんな場面があることを忘れていたので、これがとても純愛の、新鮮なシーンを観てしまった感動があった。
 ともかくこの暑い芝居は、一服の清涼剤であったが、これが単なる清涼剤に留まらないであって欲しいと思うのであった。