演 目
すばらしい人生
観劇日時/04.6.19
劇団名/苗穂聖ロイヤル歌劇団
演出/川尻恵太
照明/和田研一
サウンドデザイン/Lynn
劇場/BLOCH


追いつかない表現力

 お笑い芸人を目指す男、あるとき気が付くと、自分がなぜお笑い芸人を目指しているのか、自分がなにをしようとしていたのかがわからなくなる。
 ライヴの途中で突然舞台を投げ出した男は、その初心から心の旅路を辿り直すことになる。
 残された相棒は、ソロでTVに映画に売れていく。それに反して自分は忘れ去られていく。焦った男はインタヴュアーを買収して、売り出した相棒の取材のとき、麻薬のセットを仕掛けて証拠写真を撮り、罠に嵌めることに成功する。
 売出し中の相方は無実の罪に屈服し、業界から消え去る。仕返しに成功したはずの男は、自責の念に耐えかねて自滅する。
 この物語は局部的であるとはいえ、人間の業というか、おろかさというか、切なさを背負ったテーマを追求した話であると思われたが、問題はその無駄とも思われるサービス過剰の饒舌さである。
 その装飾部分の目くらましに気をとられて、肝心のこの男の苦悩が見えにくくなっている。そこが致命的な問題。
 表現の問題としては、役者たちのナチュラルさが気になる。観てすぐわかるオーバーアクションの演技は、もっての他であるけれども、今日の舞台のように、余りにもあからさまに日常会話そのものを何の表現的加工もなしに、ポイと投げ出されてしまうと、一瞬ものすごいリアリティを感じるとしても、次の瞬間からは現実と虚構の区別が混乱して、舞台に対する信頼を失ってしまう。
 前半での、そういうあっけらかんとしたナチュラルさと、後半での余りにも強調されたクソリアリズムとの落差にあっけにとられてしまうのだ。
 もう一つ不思議だったのは、役の貫通行動が一貫していないことだ。あるキャラクターが、場面が変わると突然イメージの違ったキャラクターになる。だがこれは計算されて、ある意図をもって変化させたキャラクターではないから不思議だ。
 突然キャラクターが変わったので、役者は当然戸惑い、無理にその新しいキャラに嵌めようとし、観客はアレ? と思いつつ、その後はワンテンポ・ツーテンポ遅れながら着いていくのに混乱してしまうのだ。
 (配役表がないので、役名と役者名とが一致しません。登場人物も多いので、配役は割愛いたします。)