演 目
田中泯独舞
観劇日時/04.6.5
劇団名/田中泯独舞
演出/田中泯
照明/田中あみ
音響/高橋琢哉
劇場/ことにパトス


空間に恋して

 
「まもなく開演です」のアナウンスがあってから、何分くらい経ったろうか? 舞台の照明はもちろん客席の明りも音もまったく動かない時間が過ぎた。
 それでも客席の声はないまま、もしかして何か突発的なアクシデントでも起こったのではないのか、という不安が広がるころ、下手後ろの客席に静かな反応が起きた。
 そのとき田中泯は、客席の下手後方から静かに静かにその恐るべき肉体を、舞台に向かって運んでくる途中であった。単(ひとえ)の和服の着流しに登山帽、まるで金田一耕介探偵のような出で立ちで裸足の田中泯は、客席を掻き分けて舞台に昇ると、持ってきた登山靴のようないかつい編上靴に裸足の両足をすっぽりと入れ、静かにスックとその美しい姿勢で舞台に立った。
 その姿勢は全身に緊張がみなぎり、一寸の隙もない肉体の誇示であると同時に、ひとつ指一本で突けば一瞬にして崩れ去るような脆さをも併せ持ったような、不思議な存在のようでもあった。
 現実離れのした音楽というか、音響効果音とでもいうのか、奇妙なBGMにのった田中泯の肉体は、主舞台へと顫動しながら移動する。
 和服を捨て去ると、とつぜん懐かしい夏休みの少年に変身する。麦藁帽子に真っ白なアンダーシャツ、半ズボンに手には竹ざお、この竹ざおは虫取り網か、魚釣りの竿か? そのスタイルで踊る。
 催眠術にかかったように、僕が見る田中少年には、その動きの先々に様々な対象物が幻のごとく浮かび上がる。それはまさに夢の中の情景であった。現実に戻ったいま、その光景を思い出そうとしてもそれが何だったのか、具体的には思い出せない。
 だが、そのときには確かに幾つもの幻影を何度も何度も見たのだ。それはまさに眼が醒めたら永久に思い出せない夢の情景としかいいようがない。
 そして田中泯は、もう一度変身する。少年の半裸の上にブレザーを羽織ると今度は一人の常識人が現れるが、この人格もなかなか一筋縄ではいかない。ここに来て、彼はさまざまなコミカルな様相を見せ始める。突然エネルギッシュに飛び跳ね回り、そのとき表情も暑苦しいくらいに目まぐるしく変化する。
 約1時間10分を通じて、田中泯の肉体は、おそらくさまざまな仕掛けを施したにも関わらず、そういう意識や言葉や計算を超越してひたすら肉体の原点を蠢いていたのであった。
 それは例えば、アメーバーなどという原生動物が、おそらく意識や理屈以前の肉体そのものが持つ、生物のエネルギーを発散させるような意味合いを持つのではなかろうか? 
 文明の発達が極限に近づくことを予感させる21世紀の僕たちにとって、この経験は軽くはない。山梨県の山奥で農業にこだわる田中泯とその一統である桃花村の思いとも繋がる一夜であった。しかし今回の舞台は、30年前に見た踊りよりも数段、物語性の強いものであった。30年間前はほとんど、原生生物の生物的エネルギーの発散でしかなく、そのことが当時たいへん衝撃的で忘れられない舞台だったのだ。