演 目
キャバレーピンキーホール
観劇日時/04.5.29
劇団名/g-viruss
公演回数/ライブアクト10
作・演出/武田晋
照明/上村範康・秋野良太
音響/梶野泰範
劇場/ テレコムホール


エンターテインメントの超大作

 
舞台一杯に飾られているのは、経済高度成長期ころの懐かしい安キャバレーの店内。開演前の客席明りも、全館ド・ピンクで充満し、配られた何枚ものフライヤー(宣伝チラシ)もどれもこれもド・ピンク一色で染め上げられて読みづらいこと甚だしい。
 さてこの舞台で演じられるのは、夢を追い求めてこの水商売の真っ只中で右往左往する男たち女たち。当然一攫千金の麻薬売買が絡んで、中国人バイヤーが大活躍する。
 この店の専属歌手とその娘の哀切話もほどよく、全ては挫折して終局に向かう。波乱万丈の物語が終わると、真っ暗な舞台に「BARナギサ」とだけ書かれた小さな置き行灯の、寂しい灯がホッカリと浮き出る。あの歌手の娘の名がナギサなのだ。
 登場人物が17名、時代も9年前のナギサの少女のころからスナックを開けるようになった現在まで、人間関係も話の筋道も入り乱れて、観ている僕にもよく判らず、ストーリーイの紹介ができない。
 しかしそれはあまり問題ではない。観ていて思ったのは、昔よくこういう映画があったよなという感じだ。夢を見た人生に翻弄され、苦しんで悩んで、それでも夢を捨てずに裏街道の闇の道を歩み続けるしかない底辺の男女たち。そして最後にポッと灯った小さな明り……。
 東京に森岡利行という劇作家・演出家が主宰する「STRAYDOG」という劇団があって、やくざと麻薬にまみれた水商売の中でうごめく人生模様を得意とした舞台を創っていたことを思い出した。当時、僕がその芝居について書いた文章を一部紹介する。
 「これはB級映画の造りである。といってもB級映画を否定しているわけじゃない。それどころか、この良く出来たB級映画もどきの芝居に僕はまったく魅了されているのだ。僕の規定によるB級映画とは『現実離れのした設定の中で、大衆の願望が、ヒーロー・ヒロインのスーパーマン的活躍と艱難辛苦の末、ハッピーエンドに収束する』というものだ。
 なぜ簡単にやくざがでてくるのか? なぜ簡単に人が殺されるのか? 普通の人にとっては、現実にはこのような極限の状況に遭う確率はとても少ないと思われる。けれどもこのような極限の状況というのは、人間のある心理を拡大して表現するにはとても便利な設定なので、そういう極限の状況をつくり易いやくざの世界を使うのだろうと思う。TVでサスペンスドラマや殺人ドラマが量産されるのもきっとそういうわけだろう。(中略)
 こういう世界の人気と言うものが確実にあるわけだろう。多分レンタルビデオがきっとこの世界に近似しているのではないだろうか? 作者にはこのレンタルビデオのシナリオが沢山あるのである」(第一次『観劇片々3号=99年1月刊』「暗闇のレクイエム」「カノン」などの時評から)
 5年前に書いた文だが、今日の舞台に当てはまると思う。当時にくらべて、世界の状況が危ない方向に変わってきたが、この件については当てはまるであろう。
 今日のこの 「g-viruss 」の出演者たちは、まったく初めての役者たちばかりであったが、メリハリの効いた魅力的な役者たちであり、エンターテインメントとして充分楽しめた2時間であった。登場人物が多すぎて紹介できないのが残念。



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