演 目
三島由紀夫・近代能楽集より
観劇日時/04.5.15
劇団名/シアター・ゼロ
公演回数/第1回公演
作/三島由紀夫
照明/成田真澄
音響/秋元大輔
劇場/テレコムホール


演劇の古典とは?

 
美術でも文学でも、永く保存してその創作時のエネルギーを保ち、そのままの形で後世の鑑賞者の眼に耐えうる力を持つ作品が古典として生き残る。
 演劇の場合、そして音楽の場合はどうか。音楽には譜面があり、演劇には戯曲がある。しかし譜面にしろ戯曲にしろ、それはあくまでも音楽の、そして演劇の設計図でしかない。
 表現としての最終形態は舞台上に展開される、生身の人間の肉体が創る時間の芸術、そのときに立ち会った生きている人間との交感によって創りだされたそのとき限りの儚い表現(芸術)なのだ。
 だから演劇で古典といわれる作品を上演する場合は、今の時代に生きている演劇として舞台を創らないと、意味が薄くなってしまうわけである。
 今回「シアターゼロ」が上演した三島由紀夫の「近代能楽集」は、最古典である能楽を三島由紀夫が現代化したという点で、二重に古典的である。能楽は最も古典的であるし、近代能楽集も今や古典であるといってもよい位置にあるだろう。
 「シアターゼロ」の今度の舞台は、その戯曲を21世紀の現代に何を表現しようとしたのか、そのエネルギーがほとんど感じられない。おそるおそる大事な古典作品を、そっと再現して見たということしか感じられない。
 古典でも良いものは良い。だから古典の再現は貴重な試みである。しかし演劇の場合は、オリジナルの単なる再現では演劇としての意味がないのだ。今度の上演はその意味でのエネルギーが圧倒的に不足していたのである。
 それは演出者を立てなかったことにも原因があるのではないであろうか。集団合議で創ったようだが、そのことさえも公表しないということは最終責任者の不在ということでもあり、無責任ということにもなりかねない。
 出演は、
「弱法師」
 俊徳=宮田征紀/桜間級子=小山由美子  川島=城島イケル/夫人=氷室雅美
 高安=鈴木亮介/夫人=小林由香

「葵上」
 六条康子=小山由美子/若林光=宮田征紀  葵=小林由香/看護婦=氷室雅美