演 目
夢幻の明日
観劇日時/04.5.7(ゲネプロ所見)
劇団名/深川おやこ劇場 劇団つくし
公演回数/第8回公演
作/劇団員共同討議・岡安良子まとめ
演出・音響/島田裕之
劇 場/パトリアホール


稽古不足によるぎこちなさ

「劇団つくし」は舞台芸術の鑑賞団体である「深川おやこ劇場」に参加する高校生から小学5年生までの児童・生徒によって作られている集団である。
 作品の制作には、要所要所では「おやこ劇場」の大人の手を借りるが、基本的には児童・生徒である劇団員によって創られる。
 年々一定の積み上げによる確かな作品を創ってきて、今年も大きな期待を抱かせた。私は当日止むを得ぬ事情があって、ゲネプロ(最後の総通し稽古)を観せてもらった。だからこの稿はそのゲネプロで観たことについて書くことになる。
 まず例によって、物語を紹介する。
 中学生の女の子サチはなぜか仲間から浮いていることに屈託している。ある日転んで頭を打ったサチは救急車で運ばれた病院で三日間眠り続け、目が覚めたとき、寿命があと二ヶ月の不治の病に侵されていることがわかった。
 両親はサチにはその事実を隠し、院長の好意で貰った生命力を授けるという壺をよりどころに、元気に回復に向かうようにと諭す。
 サチが一人寝ている病室へ、一番親しい友人のメグが訪ねてきて、うっかりサチの運命を喋ってしまう。
 幼稚園の先生になりたかったサチは、あと二ヶ月の命を、大人になったらやりたいと思っていたことを、やり尽くしたいと願う。同情したメグは、まず二人で病院を脱走してカラオケ屋へ向かう。
 そこで偶然出会ったのは、財閥の御曹司でわずか15歳で才能を発揮し、少年実業家として年商200億円の部門を開発成功させたハナワ少年とその後見人のジィの二人であった。
 サチに同情したハナワ少年と執事のジィは、サチの希望を叶えることを約束する。
 この辺は子どもらしい大雑把な夢物語だが、あまり現実離れとは感じられない。楽しい夢物語という感じである。4人は自家用のジエット飛行機で、サチの願望するイースター島へ向かう。
 憧れのモアイ像の対面したサチは、この像に自分の生きた証として自分の名を彫りこもうとして、皆に止められながらも強行しようとした瞬間、気を失ったサチの夢にモアイの精と、その群像が現れ、サチの不心得を諭す。
 気が付くとサチとメグは元の病院に居た。そのとき刑事に追いかけられていたのは、あの親切な院長であった。院長は実は詐欺師であり、運び込まれた急病人に麻酔をかけ、目覚めたときに不治の病だと宣告し、壺を売りつけていたのだった。
 思いがけない経験をしたサチは元気に中学校の仲間たちの元へと帰って行った。
 子どもたちが創った物語は、発想が類型的だという批判は簡単だが、台詞にリアリティがあって、あまり違和感がないのが物語りに現実感をもたせているのだった。
 問題は表現がいかにも未消化でぎこちないことである。この劇団はもっともっと豊かな表現力をもっていたはずだ。おそらく4月18日の合同演劇に全力を尽くした結果圧倒的に稽古量が不足して、演技が自然に流れなかったのであろうと思う。
 しかし私が観たのはゲネプロであり、演出の島田氏の話によると、明日の夜の本番までに後二回の通し稽古をやるそうだ。子どもたちはともかく本番に強い。あと二回の稽古に期待しよう。
 細かなことだが、イースター島での場面で、モアイ像の集団の動きに統一された意思を感じさせる演技が欲しかったのと、モアイの精の長台詞が説教くさく、これは周囲の無言の働きかけによるサチの自発的な覚悟にしないと、サチの心情が受身で意思の弱く、底の浅い女の子になってしまう。