演 目
Who are You? Who am I?
いまさらですが「自分探し」してみませんか?
観劇日時/04.4.25
劇団名/街角突然セミナー
公演回数/第1回公演
作・演出/高橋逸人
照明/大橋榛名
音響/高橋隆太
劇 場/琴似くすみ書店地下室


人は自分の存在を誰が決めるのか

「人は自分の存在を自分では決められない。他人によってしか決められない」というのが今日の決め台詞だ。「人間は孤独な存在ではありえない」。つまりこれはヒユーマニズム以前の根源的な人間賛歌であり、人間存在へのオマージュであり、ひとつの哲学の舞台化であるともいえよう。
 自分が何者なのかを確かめたり、いわゆるアイデンテテイ探しというのは、ひところずいぶん話題をにぎわしたが、この現象は自我に目覚めたとされる現代人にとって流行り廃りの問題ではなく、自分史の作成に相変わらず高い人気があるように、相当に根付いた近代的自我を自覚したことの現象であることは間違いない。
 僕の観劇記を読んでくださる方から、「その芝居を観ていない読者にもわかるように、梗概を紹介してほしい」という要望が多いのと、それを説明することによって、僕自身も改めて発見したり確認できたりすることも多い。
 さらに僕の観た眼で梗概を書くということは、僕が何かを選択するということであり、僕の主観が入ってくるのは避け得ないから、僕のその芝居に対する評価になるわけであるが、創った側の思惑や、客観的で冷静な梗概を書くという自信もない。
 つまり僕が梗概を紹介するということ、そのこと自体がぼくの感想なり時評になっているわけだ。逆にいうとこの文の読者は、僕の紹介文を丸ごと受け入れるべきではなく、この文というわずかな手がかりを元に、読者個々の世界を再構築しなければならないであろう。
 しかしそれは絶望的に不可能なのであって、最終的にはやはりどうしてもその舞台を観るしかないという実に身も蓋もない結論になってしまうのだ。
 ともあれ、そういうわけで、今はこの芝居の話の展開を述べながら感想を記しておく。
 「いまさらながら、自分探しをしてみませんか」というタイトルのセミナー形式で始まるこの芝居は、このセミナーの講師役の俳優(立川佳吾)が、観客に「あなたは誰で、どういう人ですか?」という問いかけで幕が開く。名指しされた観客は、まじめに氏名や好物やらを答えたりするけれども、少しおふざけを交えて返答するのが居るのは、サクラかもしれない。
 やがてセミナーの助手と名乗る男(長谷武)が現れる。この助手と講師との間で、やはり自己規定の問答が交わされるが、互いの認識に食い違いが起きてくる。
 そこへ二人の若者(谷口健太郎・山田耕平)が来るが、彼らは「輪廻転生」君と「独立孤高」君と名乗る。この世に強い思いを残して死んだ人はその思いを残した人の周辺に生まれ変わることができるが、一方自分の思いをまっとうしたくても志半ばで死んだ人は、その思いを貫くことはできるが、その場合肉体は無く永久に孤独の道を歩かなければならない。そして死んだ人はそのどちらかの道を選ばなければならない。
 この二人の説明は、今流行のお笑い芸人のスタイルでコント風に演じる。これはテンポもよく、脚本も洒落ているので気持ちの良い笑いを引き出しながら快調に進む。
 だが、この遅れてきた助手と称する山田五郎氏は自分が今死んだばかりの身だということを、どうしても判らない。死んだという自覚がないのだ。講師とコント芸人の三人は入れ替わり立ち代り、山田五郎氏の家族や会社の上司・同僚などの現在の姿を見せて五郎の死を確認させようとするのだが、五郎氏はどうしても自分の死を認めない。
 環境悪化のために棲家を追われる猿の家族、幸せな一生を送った中世ヨーロッパの貴族と侍女との恋、第二次大戦から無事帰郷した祖父が植えた記念樹が老化して切り倒すことになったとき、必死に反対した両親の姿に感動した幼時の山田五郎氏、などというエピソードが演じられるが、この辺の描写は力いっぱいの熱演でサービス満点なのだが、少し冗長すぎる感じもある。しかしそれは必ずしも悪い感じではない。
 全体に洒落たエンターテインメントの表現でありながら骨太で硬派な内容をもつ舞台だ。最後に観念した失意の、しかしまだ自分の方向を決められない山田五郎氏に向かっていう講師の台詞が冒頭の決め台詞である。
 どちらの道を行くのかついに決められない五郎氏ではあるが、この舞台のメッセージは明らかに孤独には生きられない人間を救済する道であることを示唆する。しかもそれは五郎氏が悩みぬいた末にたどり着くべき困難な道なのであろう。
 この、人生に対する確固とした信念を卓抜な演技力によって熱演ながら軽々と表現した高いレベルの舞台であった。設備の悪い、狭い、タッパの低い、室温の高い悪条件のそろった舞台・客席の空間であったが、それらのマイナスを感じさせない充実した一時間半であった。