演 目
ピアノの休戦
観劇日時/04.4.25
劇団名/MSC(月と太陽と子どもの劇場)
公演回数/第1回公演
作・芸術監督/原子修
照明/石井照久・小山園美
音響/菊地貴子
劇 場/札幌やまびこ座


格調高くならなかった生硬な表現

どこかヨーロッパあたりの小国。戦乱が絶えず、両親を殺され祖父母とひっそりと暮らすピアニスト志望の13歳の少年とその妹。ある日、反政府軍のゲリラ隊に拉致された少年は、反政府軍の少年兵として過酷で容赦のない訓練の末、戦場に立たされる。
 激しい戦場の一隅に、少年はフト置き忘れられた一台の古びたアップライトのピアノに気付く。一触即発、生と死との危ふい狭間で、ピアニスト志望の少年は夢遊病者のように、そのピアノへ一歩一歩近づく。少年が亡き母の代わりとも慕う月の精(声=竹江維子)の制止をも振り切って……。
 冒頭、兄(油谷剛喜)妹(河原田麻亜里)祖父(金田一仁志)祖母(原子千穂子)らの、いっときの平和な情景と、そこに忍び入る暗い影のシーンが描かれるが、この部分、ものすごい観念のお化けみたいな非日常的な台詞で、とても10歳や13歳の子どもたちが、こんな論文みたいな会話をするのか、よく言えば詩語なのだろうが、まずそのことに無条件で拒絶したくなるような違和感を強く感じた。
 その上、二人の子どもたちが猛烈に臭い演技をする。私たちも大勢の子どもたちの芝居を創っているから判るけれども、子どもたちはもっと自由に元気に動くはずだ。第一このキャパ(定員約300名)でワイヤレスマイクを使う必要はまったくない。台詞がとんでもないところから聞こえて大いに興を削ぐ。
 この台詞じゃ子どもたちは動きようがなくて、ふだん喋ったことのない台詞に戸惑って、何かの真似をしたのだとしたら、むしろこの子達に同情するし、原作者の原子氏の格調高い志にも失礼な話だし、お気の毒なことだ。
 少年が捕らえられてから訓練と称する「しごき」の場面、かなり長い時間のシーンだが、一貫して泣き節だったのは問題だ。観客の情緒の低い部分に迎合して同情を誘うような創り方を感じるからだ。またそれを黙認して受け入れる観客の側にも問題がある。
 少年の感情をこれでもか、これでもかと拡大して描写するのではなくて、もっと冷静な視点からの描き方の方が説得力のある表現ができたのではないのか?
 「子どもの権利条約」の精神を劇化した芝居だからといって、そういう誇張の仕方は表現行為にとって邪道ではなかろうか?
 反政府軍の訓練と称する「しごき」の場面は、70年代の追い詰められた新左翼武闘集団のリンチ事件を思い出させて古傷を逆撫でされたような気がした・・・。